西国三十三所巡礼道・槇尾山施福寺から河内長野

 西国三十三所を歩いて巡礼する西国古道ウォーキングサポートにある地図とは別の巡礼道を紹介しています。

巡礼道の地図

  西国順礼道中細見大全(1840)のp.65には、葛井寺へのすぐ道について、天野、向野(河内長野市向野町)を通って富田林に行くようになっています。
 一方、西国古道では、滝畑ダムを通って行くようになっていますが、このコースは、江戸時代の案内にはありません。スタンフォード大の2万5千図を見ると、滝畑ダムのあたりの西條川(石川)の両岸が切り立っていて、通行困難で、滝畑ダムを通る巡礼道はなかったと思います。

 大坂廻りと東国の巡礼者という資料がありました。こちらでも天野の天野山金剛寺を経由するルートが示されています。この資料では、金剛寺から先、原町で、西高野街道を横切るルートが示され、そこに書かれている道標の位置を巡礼道の地図に示してあります。森沢義信著「西国三十三所道中案内地図(上下)」には、金剛寺の先で左に入って尾根を行き、天野公民館の前を通り、広野から池阪墓地を通っていくルートを巡礼道としていますが、資料にある安政4年の道標や宝暦12年の地蔵道標の場所を通っていません。ルートは道標を通るようにしました。
 なお、道標を通る道は、路肩もなく、車の危険が大きいことを考えると、森沢さんの本のように、天野公民館、池阪墓地を通っていくルートが良いのかもしれません。
 水落に、「すぐ大むね山(大峰山?),左藤井寺」「右あまの,まき尾道」と二面に刻まれた自然石の道標あり、国道から坂を下ってきた巡礼者に、まっすぐ喜多平野地蔵堂高野街道と合流して大峰山に向かう道と、左の原町を通る道を葛井寺に行く道とを案内し、また、原町から来る巡礼者に、右に坂を登って天野山金剛寺槇尾山施福寺に向かう道を案内しているようです。この辻には、「右ふぢい寺」「左さかい」と刻まれた道標もあり、こちらは原町経由ではなく、喜多平野地蔵堂から河内長野経由で葛井寺に向かう道を案内しているようで、こちらも巡礼道であったようです。

 河州錦部郡西代村絵図に、天野山道・巡礼道が描かれていて、上原町から西代神社までは、旧国道170号線が天野からくる道だったようです。

 西国古道では、河内長野から滝谷不動まで、東高野街道ではなく、石川の対岸を通るようになっていますが、これも巡礼道とは思われません。