小津安二郎監督『母を恋はずや』のロケ地

娼家の手帖@shoukanotechouさんのツイッターに、『母を恋はずや』は大丸谷で実際にロケをした作品であり、チャブ屋も当時の「NO.9」を使ったのかもしれないとあります。興味をもったので、さらに調べてみました。
「中区明細地図 昭和31年度版」からhotel bangaloreの位置がわかります。石川町駅前郵便局のところから、大丸谷坂を登り、左への分岐路を左に少し行った、カトリック山手教会などへの道案内のある角地のところのようです。国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスで、戦後すぐの空中写真をみても、そこにはお寺のような屋根の建物があるのが分かります。

トトやんさんのぶろぐに、
「ここでカメラが水平に移動します
で、NO.3 などと壁にペイントされているところから、
これが噂の「第三キヨホテル」か。」とあります。映画のシーンの3の文字が濃いですが、細工をしたような跡はないようで、第三キヨホテルがロケ地だったかもしれません。

チャブ屋の壁のNo.3


戦前・戦後の横浜市本牧地区における私娼街の復元的研究の図1に、倉田乗馬クラブのそばに第二キヨホテルがあり、海岸線のそば、南に離れたところにキヨホテルがあることが示されています。
はげまるのぶら~り日記というブログに、第一キヨの近くに第三キヨが書かれた略図があります。
ログインすれば見ることができる土地宝典では、本牧町宮原の883ノ2と3は、倉田治三郎が所有し、また、894ノ1は、倉田きよが所有しているようで、キヨホテルの経営者夫婦と一致し、土地宝典の図では、本牧町宮原の883ノ2と3は海岸線にあり、894ノ1は、少し南西にあり、前出の図からみて、前者にキヨホテルがあり、後者に第三キヨホテルがあったようです。窓から信号旗がある塔のシーンがありますが、こちらは海沿いにあったキヨホテルでロケしたのかもしれません。

信号塔のシーン

これらの3つのキヨホテルのあたりは、戦後米軍に接収されて跡形もなくなっています。

「全日記小津安二郎」という本によると、この映画の撮影された年の1月26日にはキヨホテルに、1月10日と17日には第三キヨホテルに泊まっており、馴染みだったようです。

 

母親が坂道を下っていくシーンは、キヨホテル周辺には坂はないようで、別の場所で撮影された可能性が高いと思います。

坂道を下るシーン

「全日記小津安二郎」では、チャブ屋の光子の部屋のシーン、ダンスホールのシーンは蒲田のセットだったように読めますが、ほかのシーンがセットかロケかは不明です。