道玄物見の松

遊歴雑記初編(1812-1829)の中11「東武三十六の名松名寄」にある「物見の松」の場所を調べてみました。そこには道玄坂の際とだけ記されています。 新編武蔵国風土記稿(1804-1829)の上目黒村の小名宿山組のところに、「この地の民清三郞が宅地に古松ありて、…

品川御殿

品川区のホームページに、「品川御殿」という品川歴史館解説シートがあります。 そこには品川御殿の跡地として、「御殿の所在地は、現在の北品川4丁目の東京マリオットホテル付近と推定され、 品川宿と海を眼前に見下ろし、 東海寺とは目と鼻の先であったこ…

天城の観音(小池の観音)の場所

遊歴雑記初編の下54「橘樹郡の天城の観音の眺望」の場所がなかなか解りません。 本文には「かな川の驛を西へ出はなれ、繩手より南へ入、海手の方凡十七八町にあり、此途すがら、耕地の畦道を道遙する事凡數十町、・・・小池の觀音に近づくに、一壘の小山あ…

石町撞鐘堂の場所

遊歴雑記三編上58「石町撞鐘堂の應報」に、「石町三丁目左側町屋の裏に、時の鐘ありて・・・」とあります。 グーグルマップに小日向から来て石町(今の江戸通り)の左側に石町時の鐘 鐘撞堂跡が示され、中央区教育委員会の設置した説明板もあります。 グーグ…

浅草寺の石橋 -寄進者の真実-

浅草の浅草寺に東京都最古の石橋があります。 「現存する都内最古とされるこの石橋は、元和4年(1618)浅草寺に東照宮(現存せず)が造営された際、参詣のための神橋として造られたものである。寄進者は、徳川家康の娘振姫ふりひめの婿、紀伊国和歌山藩主浅…

神田川の一枚岩:落合の一枚岩と下高田の一枚岩

明治の地図をトレースした面影橋から小滝橋までの神田川と下落合付近の妙正寺川の流路と南蔵院からの川沿いの小径のマップです。旗印のマーカーは、南蔵院からおよそ3町,4町,7町,8町の距離のところを示しています。 [落合の一枚岩] 江戸名所図会の…

清土通り(せいどどおり)が清戸坂(きよとざか)になってしまった

護国寺前交差点から目白台二丁目交差点までの道は、昭和37年に「不忍通り」との通称道路名が付けられ、いまでも不忍通りの一部となっています。 この道の過去の名称について調べてみました。 [江戸時代] 江戸叢書に収められている文化9年から13年の見聞が…

西国三十三所巡礼道:ルートマップ

西国古道ウォーキングサポート(以下、西国古道)というサイトのルートを手直ししたマップです。 巡礼道を検討するのに、主に江戸時代の書物、秩父坂東西国順礼行程記(以下、行程記)、西国巡礼道中細見大全(以下、細見大全)(目次)、西国順礼細見之絵図(以…

清戸道(きよとみち)は明治の道

[目白・練馬を通る清戸道の由来、起点と終点] 江戸時代の書物には、「清戸道」という名前の書かれたものは見つからず、明治9年度の東京府管内統計表に初めて清戸道を三等の道路として見出すことが出来ます。そこには、清戸道の駅名が上土支田村とあり、里…

多摩川の筏道は明治の道

筏道とは、筏を通すための水路のことで、川に堰を設けるとき、筏を通すために設けられたりしていました。また、橋のかわりに筏を浮かべた筏の道のことを筏道と呼んだりもしていたようです。この「筏道」の名前を道路に付けたのが明治時代の東京府です。東京…

下北沢の二子道は明治の道

世田谷区の第2回地域風景資産として、「2-01 北沢地域に隠れている石造物群 ~茶沢通り(旧二子道)界隈~」というのが選定されています。 これをみて、下北沢に二子道という名前の古道があったとして、紹介されているサイトも見られるようになっています。 …

日光東往還のフェンス

日光東往還を、結城から北に向かうと、神明神社の少し手前で県道147号へ左に曲がり、最初の角を右折し、水川商店の前を通って神明神社前に出るのが街道筋です。 水川商店の裏手には一里塚が残っているようです。 神明神社から東往還を北に向かうと、四季の杜…

東京の道路名称の歴史

1.江戸時代 寛政12年(1800)から7年の歳月を費やして完成された五海道其外分間延絵図並見取絵図から、五街道と主要な脇街道の名前が分かります。 東京を通っているものは、東海道、中山道、日光道中(奥州道中)、甲州道中、日光御成道、水戸佐倉道です。…

コスタイベについて

コスタイベは、10月1日からの新型コロナワクチンの定期接種に加えられた次世代型mRNAワクチンと言われるもので、レプリコンワクチンとも呼ばれています。 文献によると、ベネズエラウマ脳炎ウイルスを組み替えたもののようで、組換+鎖RNAウイルスを用い…

判例の研究[ただ乗り(フリーライド)事件] -司法の暴走-

1.はじめにただ乗り(フリーライド)行為が問題となっている事件があります。有料の乗り物をただで乗ることは違法なことで、特許権や著作権などの独占権を侵害する行為は違法になります。一方、ただの乗り物、例えば催し物の無料送迎バスに催し物の参加者…

滝坂道の変遷

2025.3.31に書き直しました。 [江戸時代] 文化2年(1805)の目黒筋御場絵図というのがあります。渋谷道玄坂で相州往還と分かれ、太子堂、若林、豪徳寺の北側、廻澤、上祖師谷を通る道が描かれています。御場で隠れていますが、甲州街道に合流しているのでし…

人見街道

久我山5丁目24番23号に、杉並区が設置した人見街道の案内表示板があり、そこには次のようにあります。 「浜田山駅北側の、井の頭通りの分岐を起点に高井戸東・高井戸西・久我山を通って府中市若松町の新小金井街道に接する都道14号及び110号は人見街道と呼ば…

品川道と品川区が設置した道標

新編武蔵風土記稿に出てくる品川道を見て行きます。 荏原郡馬込領池上村のところに、「村内一條の往還あり、東の方堤方村より入り、本門寺の門前を橫ぎりて西の方德持村に達す、この往還郡中品川宿より橘樹郡稻毛領に達す、故にこれを稻毛道とも、或は品川道…

六郷田無道の不思議

世田谷区祖師谷6丁目にある塚戸公園に「せたがや百景」の説明板があり、「48上祖師谷の六郷田無道」として、「この道は、かつて「府道六郷田無線」といって、今の中央線である甲武鉄道が明治22年に新宿~八王子間に開通するまでは、六郷・蒲田方面から…

笛吹峠、もう一つの巡礼街道

笛吹峠について、鳩山町と嵐山町のホームページには、この場所は鎌倉時代以降広まる坂東札所めぐりの中で、9番慈光寺(ときがわ町)と10番正法寺(東松山市)を結ぶ巡礼街道との交差点にもなっていると説明されています。 一方、鳩山町史別巻 2「鳩山の地誌…

小津安二郎監督『母を恋はずや』のロケ地

娼家の手帖@shoukanotechouさんのツイッターに、『母を恋はずや』は大丸谷で実際にロケをした作品であり、チャブ屋も当時の「NO.9」を使ったのかもしれないとあります。興味をもったので、さらに調べてみました。「中区明細地図 昭和31年度版」からhotel b…

例幣使道・東町の道しるべ

中山道例幣使道分間延絵図の境宿を過ぎたところに桝形があり、例幣使道が日光に向かって北に曲がるところを、曲がらずにまっすぐ少し行ったところに、世良田村へ真っすぐ行く道と右に曲がって中瀬村に行く道と分れるところが描かれています。ここが東町の道…

日光御廻道・高柳村

日光御廻道を歩くために調べていると、「お廻り道」をいくという サイトがありました。そこにある久喜市立郷土資料館のパンフの地図と五海道其外分間絵図並見取絵図の日光御廻道見取絵図と比べてみると、高柳村のところが違うようです。 国土地理院 寳聚寺と…

久世の鷺坂 -本当の場所は-

万葉集に、鷺坂・鷺坂山について記された柿本人麻呂作と思われる次の3つの歌があります。(万葉百科 より)山背の久世の鷺坂神代より春は萌りつつ秋は散りけり 「山代久世乃鷺坂自神代春者張乍秋者散来」巻9-1707白鳥の鷺坂山の松陰に宿りて行かな夜も更け…