滝坂道

滝坂道について、世田谷デジタルミュージアムによると、「瀧坂道(たきさかみち)は慶長7年(1602)に江戸幕府が甲州道中を開くまでの府中道で、特に中世世田谷吉良氏の居城であった世田谷城にとっては重要な道であった。この道は府中市瀧坂(東つつじヶ丘)で甲州…

人見街道

久我山5丁目24番23号に、杉並区が設置した人見街道の案内表示板があり、そこには次のようにあります。 「浜田山駅北側の、井の頭通りの分岐を起点に高井戸東・高井戸西・久我山を通って府中市若松町の新小金井街道に接する都道14号及び110号は人見街道と呼ば…

品川道と品川区が設置した道標

新編武蔵風土記稿に出てくる品川道を見て行きます。 荏原郡馬込領池上村のところに、「村内一條の往還あり、東の方堤方村より入り、本門寺の門前を橫ぎりて西の方德持村に達す、この往還郡中品川宿より橘樹郡稻毛領に達す、故にこれを稻毛道とも、或は品川道…

六郷田無道の不思議

世田谷区祖師谷6丁目にある塚戸公園に「せたがや百景」の説明板があり、「48上祖師谷の六郷田無道」として、「この道は、かつて「府道六郷田無線」といって、今の中央線である甲武鉄道が明治22年に新宿~八王子間に開通するまでは、六郷・蒲田方面から…

笛吹峠、もう一つの巡礼街道

笛吹峠について、鳩山町と嵐山町のホームページには、この場所は鎌倉時代以降広まる坂東札所めぐりの中で、9番慈光寺(ときがわ町)と10番正法寺(東松山市)を結ぶ巡礼街道との交差点にもなっていると説明されています。 一方、鳩山町史別巻 2「鳩山の地誌…

小津安二郎監督『母を恋はずや』のロケ地

娼家の手帖@shoukanotechouさんのツイッターに、『母を恋はずや』は大丸谷で実際にロケをした作品であり、チャブ屋も当時の「NO.9」を使ったのかもしれないとあります。興味をもったので、さらに調べてみました。「中区明細地図 昭和31年度版」からhotel b…

例幣使道・東町の道しるべ

中山道例幣使道分間延絵図の境宿を過ぎたところに桝形があり、例幣使道が日光に向かって北に曲がるところを、曲がらずにまっすぐ少し行ったところに、世良田村へ真っすぐ行く道と右に曲がって中瀬村に行く道と分れるところが描かれています。ここが東町の道…

日光御廻道・高柳村

日光御廻道を歩くために調べていると、「お廻り道」をいくという サイトがありました。そこにある久喜市立郷土資料館のパンフの地図と五海道其外分間絵図並見取絵図の日光御廻道見取絵図と比べてみると、高柳村のところが違うようです。 国土地理院 寳聚寺と…

西国三十三所巡礼道

歩いて西国三十三所巡礼をするための道筋が分かる書籍として、「アリの会/編集 西国三十三所古道徒歩巡礼地図」、「森沢義信著 西国三十三所道中案内地図(上下)」というのがあります。 また、西国古道ウォーキングサポートというサイトがあり、巡礼のルート…

久世の鷺坂 -本当の場所は-

万葉集に、鷺坂・鷺坂山について記された柿本人麻呂作と思われる次の3つの歌があります。(万葉百科 より)山背の久世の鷺坂神代より春は萌りつつ秋は散りけり 「山代久世乃鷺坂自神代春者張乍秋者散来」巻9-1707白鳥の鷺坂山の松陰に宿りて行かな夜も更け…