2025-01-01から1年間の記事一覧

道玄物見の松

遊歴雑記初編(1812-1829)の中11「東武三十六の名松名寄」にある「物見の松」の場所を調べてみました。そこには道玄坂の際とだけ記されています。 新編武蔵国風土記稿(1804-1829)の上目黒村の小名宿山組のところに、「この地の民清三郞が宅地に古松ありて、…

品川御殿

品川区のホームページに、「品川御殿」という品川歴史館解説シートがあります。 そこには品川御殿の跡地として、「御殿の所在地は、現在の北品川4丁目の東京マリオットホテル付近と推定され、 品川宿と海を眼前に見下ろし、 東海寺とは目と鼻の先であったこ…

天城の観音(小池の観音)の場所

遊歴雑記初編の下54「橘樹郡の天城の観音の眺望」の場所がなかなか解りません。 本文には「かな川の驛を西へ出はなれ、繩手より南へ入、海手の方凡十七八町にあり、此途すがら、耕地の畦道を道遙する事凡數十町、・・・小池の觀音に近づくに、一壘の小山あ…

石町撞鐘堂の場所

遊歴雑記三編上58「石町撞鐘堂の應報」に、「石町三丁目左側町屋の裏に、時の鐘ありて・・・」とあります。 グーグルマップに小日向から来て石町(今の江戸通り)の左側に石町時の鐘 鐘撞堂跡が示され、中央区教育委員会の設置した説明板もあります。 グーグ…

浅草寺の石橋 -寄進者の真実-

浅草の浅草寺に東京都最古の石橋があります。 「現存する都内最古とされるこの石橋は、元和4年(1618)浅草寺に東照宮(現存せず)が造営された際、参詣のための神橋として造られたものである。寄進者は、徳川家康の娘振姫ふりひめの婿、紀伊国和歌山藩主浅…

神田川の一枚岩:落合の一枚岩と下高田の一枚岩

明治の地図をトレースした面影橋から小滝橋までの神田川と下落合付近の妙正寺川の流路と南蔵院からの川沿いの小径のマップです。旗印のマーカーは、南蔵院からおよそ3町,4町,7町,8町の距離のところを示しています。 [落合の一枚岩] 江戸名所図会の…

清土通り(せいどどおり)が清戸坂(きよとざか)になってしまった

護国寺前交差点から目白台二丁目交差点までの道は、昭和37年に「不忍通り」との通称道路名が付けられ、いまでも不忍通りの一部となっています。 この道の過去の名称について調べてみました。 [江戸時代] 江戸叢書に収められている文化9年から13年の見聞が…

西国三十三所巡礼道:ルートマップ

西国古道ウォーキングサポート(以下、西国古道)というサイトのルートを手直ししたマップです。 巡礼道を検討するのに、主に江戸時代の書物、秩父坂東西国順礼行程記(以下、行程記)、西国巡礼道中細見大全(以下、細見大全)(目次)、西国順礼細見之絵図(以…

清戸道(きよとみち)は明治の道

[目白・練馬を通る清戸道の由来、起点と終点] 江戸時代の書物には、「清戸道」という名前の書かれたものは見つからず、明治9年度の東京府管内統計表に初めて清戸道を三等の道路として見出すことが出来ます。そこには、清戸道の駅名が上土支田村とあり、里…

多摩川の筏道は明治の道

筏道とは、筏を通すための水路のことで、川に堰を設けるとき、筏を通すために設けられたりしていました。また、橋のかわりに筏を浮かべた筏の道のことを筏道と呼んだりもしていたようです。この「筏道」の名前を道路に付けたのが明治時代の東京府です。東京…