天城の観音(小池の観音)の場所

遊歴雑記初編の下54橘樹郡の天城の観音の眺望」の場所がなかなか解りません。

 

本文には「かな川の驛を西へ出はなれ、繩手より南へ入、海手の方凡十七八町にあり、此途すがら、耕地の畦道を道遙する事凡數十町、・・・小池の觀音に近づくに、一壘の小山あり高さ凡三丈餘、遠りは貳町もあらんか、平坦の耕地の中に、此山のみ獨立して湧出するが如し、」とあります。

神奈川宿を西に行くと、帷子川を越えないと、海手のほうに2kmも行けないし、越えてから海手の方へ行くと、戸部や野毛になりますが、該当するような観音は調べても見つかりませんでした。

また、新編武蔵国風土記稿橘樹郡のところを見ても、天城観音や小池観音を連想させるような記載は見出せませんでした。「かな川」は間違いのようです。

 

いろいろ調べていると、東海道分間延絵図の東子安村の一里塚の手前に「小池観音道印」とあることが解りました。

東海道分間延絵図

南の海手とは逆の方向になりますが、このあたりの観音に関して調べました。

新編武蔵国風土記稿の鶴見村のところに観音堂があり「此觀音は江戶より參詣のものもあり信仰の人少なからず」と書かれ、また別当東福寺が子生山と号すことが書かれています。そしてこの子生山は「こいけさん」と読むようです。


江戸名所図会観音堂の絵図があります。今の東福寺の本堂の所に観音堂があり、東福寺は山の下にあったようです。

東海道分間延絵図の道印の小池観音はここのようです。

 

遊歴雑記初編の下52「新田大明神並十騎の宮」のところに「此處より・・・小池の觀音へ貳拾五町、」とありますが、川崎宿まででも四十町ほどあり、観音堂のあった東福寺まではもっと距離があります。遊歴雑記の本文の距離はあまりあてにならないようです。

遊歴雑記三編の下10に、子安子育観音と東福寺の事が書かれていますが、天城の観音や小池の観音についての言及はありません。「橘樹郡の天城の観音の眺望」の観音が東福寺観音堂とするといろいろ齟齬があり、小池の観音に行くつもりで、別の観音に訪れたのではないかと思われます。

「かな川」と川崎を間違えたとすると、川崎宿を西に出て、真っすぐな道を南の海の方に曲がる場所は、迅速地図を参考にすると川崎警察署の手前の交差点で左に曲がったと思えてきました。曲がった先は渡田村になります。

新編武蔵国風土記稿の渡田村のところに観音堂が2か所書かれています。一つは成就院境内の観音堂(如意輪観音)、もう一つは村の北続きにある観音堂です。近辺では、小田村の山王社にある観音堂(正観音)、村の西にある観音堂(正観音)、大島村の真観寺(本尊正観音)がありました。天城の観音として訪れたのは、これらのいずれかではないでしょうか。本文の十一面観音というのが正しいとすると、渡田村の北続きにある観音堂に十一面観音があったかもしれませんが、場所が不明です。また、市場村の専念寺にも十一面観音がありましたが、街道から一町ほど左に入っただけです。

天城の観音の位置の特定はできませんでした。

 

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